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[TS00-2-1] 知(言語的認識)は墓場に入る(死に至る)のか、どこまでも生き延びようとするのか

本稿は、お知らせの体裁をなすものですが、
内容的に重要問題に触れていると思われますので、
お知らせを兼ねながら、そのまま一稿として、ここに置くことと致します。

これまで、記載順序から見た前稿にあたる

[TS24-1-1] 中道(に位置する俗諦)の役割とキリストの役割の同義性
http://hokkai53.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-2322.html

および、それに先立ついくつかの場所において、
『知(言語的認識)の墓場』ということに触れてきました。

今や、カテゴリー「窓は空、空は窓」で到達した以下の二つの命題も
このことを正面から問題にしています。

[M24] キリストは言葉(俗諦)であるが故に、
                死と復活によって、それ(真諦)にならなければならなかった

http://hokkai53.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-506b.html

[M27] キリストは言葉(俗諦)であるが故に、
                  死と復活によって、愛(大悲)そのものにならなければならなかった

http://hokkai53.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-90d8.html

これは、上記の前稿でも、触れた通りです。

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私は、以上のように筆を進めながらも、他方で、中論の中に、逆に「知(言語的認識)がどこまでも生き延びようとする要素」が含まれており、
従って、中論の読み方において、『知(言語的認識)の墓場へと至る立場』と『知(言語的認識)がどこまでも生き延びようとする立場』の間で、深刻な対立が生じうるのではないか、ここをどう乗り切るか、ということが、頭から離れませんでした。

そこで、そもそも前稿 [TS24-1-1] の内容自体は、
私が『知(言語的認識)の墓場へと至る立場』であることを示しているわけですが、
これに引き続いて、改めて私がその立場であることを早々と先に明確に宣言してしまってから、それを前提として、これから中論を読み進め、参究していく方向を打ち出そうということで、一つだけ、より具体的な手段・方針も思いつき、次稿の記載に取りかかろうとしておりました。

ところが、その直前に、ネット上で発見した「ツォンカパの中観思想」(四津谷孝道著・大蔵出版)が手元に届きました。
今はこれを手にした時点で、まだ読んではいないのですが、この内容がおそらく上記の私の問題意識そのものに答えてくれる本であることを何となく予感しています。
すなわち、見当では、帰謬論証派が『知(言語的認識)の墓場へと至る立場』であり、
自立論証派が『知(言語的認識)がどこまでも生き延びようとする立場』になってくるのではないかと・・・・。

[注] 以前読んだ、ダライラマ著「般若心経入門」で、
    中観派に帰謬論証派と自立論証派の二派があるということが書いてありました
   が、ここで問題になってくるのか、という感慨をもちます。

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そういうことであるとすると、絶壁に思われていた中論の登山口に到達したのかもしれないという思いもありますので、ここはあわてず、ゆっくりと進みたいと思います。

具体的に申しますと、ブログ外の実生活、そろそろ年末が意識されてきたこと、これまで中論以外には、ほとんど参考文献を何も読んでいないに近い事情なども合わせまして、ここはゆっくりこの本を読んでみたいと思うにいたりました。
つきましては、しばらくブログ記事をお休みいたします。

どのくらいの期間になるかはわかりませんが、しかるべき時点で再開します。
これは、前向きな進展に向けての一時休止とお受け止め下さい。

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