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[M10] 慈眼視衆生

この「慈眼視衆生」は、御承知の通り、妙法蓮華経普門品(いわゆる観音経)の偈に出てくる耳慣れた言葉です。
これからは、大悲心というより、「慈眼視衆生」の方がぴったりするような気がしますので、この言葉を使うことにします。

[S7][S8]で、このカテゴリーの方向性は、ほぼ示せたと思いますが、どうも一つだけ足りないような気がして、最後にこれをあげておくことにしました。

明確にはわからないのですが、自分と世界が同じ一つのものという地平では、当然その中に現象する一切の物事に対して、「慈眼視衆生」ということが自ずからついてくるような気がします。これからは、意業として「慈眼視衆生」でいこうということでもいいのですが、敢えてそういわなくても、自ずからそういうことなのだということが含まれているような感じが致します。

しかし、そこはどちらであっても、もともとこのカテゴリーは自己暗示的に、イメージトレーニング的に、その「ふり」をしていこうというスタンスなのですから、それならいっそのこと「慈眼視衆生」を加えてしまえ、ということでもおかしくはありません。努力目標というか、方向性としてそういうことにしようと決めてかかりたいと思います。

ここまで入れると、方向性ということでは、ある意味全部出尽くしてしまって、残るものはただその方向に近づく修行だけになったという感があります。しかし、見方によっては、その方が気楽といえば気楽です。

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[MC10-1] 投稿: 求道者 | 2011年5月 9日

そう、重要な目標の一つである、がだ、これは達してくると自然に身に着くものであって、むやみにそうしようと思いすぎない方がよいことの一つである。それよりも達する努力の方が「急がば廻れ」である。

イエスは言葉の名人でよく感心するが、彼はこれを「まず天の国を求めよ、さらば汝の望むことのすべては与えられん」と表現した。

自分自身のために努力するのは、利己主義のように見えるが、これが人間が神に認められている唯一の利己主義であり、実は何よりも大切な事であるから、「天の国」つまり「解脱」なのである。そうすれば最も適切な方法で他人を助ける事ができ、無駄が無く、平和と調和が追求できるからである。

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コメント

そう、重要な目標の一つである、がだ、これは達してくると自然に身に着くものであって、むやみにそうしようと思いすぎない方がよいことの一つである。それよりも達する努力の方が「急がば廻れ」である。

イエスは言葉の名人でよく感心するが、彼はこれを「まず天の国を求めよ、さらば汝の望むことのすべては与えられん」と表現した。

自分自身のために努力するのは、利己主義のように見えるが、これが人間が神に認められている唯一の利己主義であり、実は何よりも大切な事であるから、「天の国」つまり「解脱」なのである。そうすれば最も適切な方法で他人を助ける事ができ、無駄が無く、平和と調和が追求できるからである。

投稿: 求道者 | 2011年5月 9日 (月) 10時38分

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