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[M11] 散乱・昏沈・懈怠の試練

[M7][M8] と、目指すべき中枢構造とその働かせ方の方向性・イメージまでは出来上がったものの、いざそれを我が身に実習して行こうとすると、そう簡単ではありません。
ブログと私自身の進行が同時並行ということで、とにかく、なかなかうまくいかず、いろいろと調べてみたり、練習したり、工夫したり、その他・・・悪戦苦闘中です。

「精進」だ、「定」だ、と思って取りかかりますが、思うように集中できず、「散乱」します。
そして、行き着くところ、ああ、ダメだという「昏沈」が待ち受けています。
「軽安」はなかなか訪れません。

ところが、この「悪戦苦闘」ということが別の角度から問題になってきます。

「悪戦苦闘」してしまうと、そこに「苦」が生じ、「ちょっと待て。何のための仏法なのか」ということになります。
「修行は、一面、安楽にしなければ」ということもあります。成果を「貪」ぼるのは、なるほどよくありません。
「懈怠」しないように「精進」しながらも、成果を「貪」ぼらず、ゆったりと、気長に取り組むしかありません。
まず、初めに直面する「煩悩」がこのあたりだということがわかってきただけで、一歩前進です。そもそも、いままでは、散乱や昏沈を煩悩だとみる認識自体がありませんでした。

煩悩は、捉えたら、それに絡まれないように、見つめていれば、いずれ過ぎ去って消えてしまうということですから、自分の煩悩見物でもするつもりで、「狭き門」から、入るほかはありません。

「悪戦苦闘」するのでもなく、「悪戦苦闘」しないのでもなく、・・・・・。
自分で、自分に「慈眼視衆生」・・・・。見える景色には、すべて「慈眼視衆生」・・・・。

    [注]  「散乱・昏沈・懈怠・軽安」等の意味については、下記参照
  http://hokkai53.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/h_426d.html


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                          投稿されたコメント
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[MC11-1]  投稿: 求道者 | 2011年5月 8日

何でも実習は簡単にはいかない。幾ら本を読んでも自転車に乗るには、乗りこなすしかない。

ただし、そのコツを聞くのは参考になり、何にでもコツはある。コツとは、禅の悪影響でもあるが、抽象的になり過ぎると、結局、何をしているのか、暗中迷迷の状態を脱せなくなる。

禅はインドではダーナと呼ばれ、その音を「禅」と中国人が名付けた。しかしインド人は相当論理的な民族で、釈迦もしかりであった。ヨーガが論理的なものであることを知っていれば、そうだなあ~、とうなずくであろう。

禅は、道教の影響を受けすぎて、本来の具体的瞑想法を偏向させすぎているので、消化するには注意が必要である。

ヨーガの、ラージャヨーガあたりを参考にすると、禅をこなしやすくなる。

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          以下は、投稿文のみで、記載が重複します。
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コメント

何でも実習は簡単にはいかない。幾ら本を読んでも自転車に乗るには、乗りこなすしかない。

ただし、そのコツを聞くのは参考になり、何にでもコツはある。コツとは、禅の悪影響でもあるが、抽象的になり過ぎると、結局、何をしているのか、暗中迷迷の状態を脱せなくなる。

禅はインドではダーナと呼ばれ、その音を「禅」と中国人が名付けた。しかしインド人は相当論理的な民族で、釈迦もしかりであった。ヨーガが論理的なものであることを知っていれば、そうだなあ~、とうなずくであろう。

禅は、道教の影響を受けすぎて、本来の具体的瞑想法を偏向させすぎているので、消化するには注意が必要である。

ヨーガの、ラージャヨーガあたりを参考にすると、禅をこなしやすくなる。

投稿: 求道者 | 2011年5月 8日 (日) 21時23分

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