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[S6]一即一切・一切即一と即非の論理(2)

    《注》 [S5]から、内容的に続きます。

 それでは、台風12号の実相をそれなりに直観できたということを前提にして、[S6]で問題となっていた事柄を解決していくことに致します。

  うまく直観できている人は、これから私が説明することを、もう自分で既にわかってしまっているか、すぐ納得できる状態になっているし、あるいは、自分でちょっと考えれば、自然と導き出せる、ということになっているはずです。                               また、多少あやふやな人や、まだわかったような、わからないような感じの人は、私の説明でできるだけ疑念を解消していって下さい。                                                        最終的によくわからなかったとしたら、ここは大切なところだから、一定期間をおいて繰り返し繰り返し『参究』して下さい。

《もうひとりの私》 俺は、ちょっとわかってきたような気がするぞ。早く説明を聞かせろ。

   さて、このようにして台風12号の実相を直観してみると、それまで個物と思っていた台風12号の真実の姿は、無限なるもの(=全宇宙の無限の空間と永遠の時間)の働きが、いまここの、この一点に集中して現れているということ、それがこの台風12号の実相である、ということになります。                                                                          逆に見れば、台風12号の中に無限なる宇宙(の作用・働き)がスッポリ入ってしまっている、という華厳経の世界が見えてきます。台風12号の中に、鏡のように無限なる宇宙が映って見えてきます。

《もうひとりの私》 おう、おう、見えるぞ。

《独り言》 『現成公案』という正法眼蔵の言葉を使えば、『現成台風12号』です。公案というところは、数学の変数Xみたいなもので、何を代入してもいいような一種の定理です。

 そこで、一つ一つ順番にいきましょう。

《もうひとりの私》 俄然、やる気が出てきたぞ。

『この茶碗は、この茶碗ではない。』というのは、

『台風12号は、台風12号でない。』

ということですね。

つまり、これは

  「 台風12号(の実相)は、(無限の宇宙の彼方まで広がっているのだから、)(それまで私が思っていたような個物としての)台風12号ではない。」

という意味に理解され、ちゃんと成り立つ論理になってきます。()を全部取り去れば、元の文に戻ります。                                                                                                この文章でなければ、絶対ダメというわけではありません。これとは、違った文章の補い方もできます。要は、わかれば自由に文章が組み立てられます。

《もうひとりの私》 ふむ、ふむ、わかる。

『Aは、非Aである。』、『この茶碗』は、《この茶碗以外の一切のもの》である。』は、

『台風12号は、《台風12号以外の一切のもの》である。』

これは、わかれば、『一即一切』ずばりだ、と言ってもよいし、

「 台風12号(の実相)は、《台風12号以外の一切のもの》(すなわち、無限なる宇宙)である。」

あるいは、主語の意味内容を変えて、

「 (これまで、自分が個物だと思ってきた)台風12号は、(実は、個物を越えた無限なる宇宙、すなわち、)《台風12号以外の一切のもの》である。」

と、してもいいかな。

《もうひとりの私》 なーるほど・・・。

『 A は、非A であるが故に、A である。』は、ちょっとむずかしいんだな。                   

『 台風12号は、《台風12号以外の一切のもの》であるが故に、台風12号である』

これは、こうかな。

『 (個物に見えるこの)台風12号は、(実相においては)《台風12号以外の一切のもの》(すなわち、無限の宇宙)であるが故に、(今ここにこのような)台風12号(として現成しているの)である』(無限の宇宙でないならば、このような台風12号として現成せずに、消え去ってしまっている)

《もうひとりの私》 なんだ、なんだ、なんだ。ちょっと、わかんなくなってきたぞ。

いや、こうかな、

『(個物に見えるこの)台風12号は、(実相においては)《台風12号以外の一切のもの》(すなわち、無限の宇宙)であるが故に、(《台風12号以外の一切のもの》、すなわち、無限の宇宙がスッポリ中に入っている)台風12号である』

《独り言》   もっとうまくできる人がおられましたら、是非コメント寄せて欲しいですね。             私も学んでいきます。趙州和尚のいわれた、『我より勝るものは、七歳の童子にも学ばん。我より劣るものは、百歳の老人にも教えん。』でいきましょう。                             また、金剛経にいう『応に、無住のところより、その心を生ず。』恥かくとか、バカなこといってしまって後悔するかもしれないとか、何だとか、心の中にあるグジュグジュした囚われをスパッと断ち切って、頭の中カラッポにして、一切の心の構えのはずれた無住の地平から、これは言ておいてやったほうがみんなのためになると思ったら、躊躇なくその行動に打って出て下さい。                                           他方、自分の中で、モヤモヤしてるのに、例えば、目立ちたい一心で、すぐ何か言い出すのは、感心できません。しかし、それだって、我々誰しも聖人君子ではないし、失敗を繰り返えしながら進まざるをえないのだから、一段高いところから見たら、それはそれでいいんだ、ってことにもなると思います。この辺のことは、②の『人間の指令中枢の欠陥』のところに入ってから触れることになる問題です。

 『即非の論理』は、次項でも本項を引き継ぎ、『即』とはどういうことなのかという点に焦点をあててみてまいりますので、『即非の論理』は、改めてそこで触れることにし、ここではこれで終わりに致します。

 『一即一切、一切即一』の方がわかりやすいので、とにかく、そちらで、おおよその感覚を掴んでおいていただければ、以後の私の話は基本的に理解することができます。

《もうひとりの私》 わかった、それで少し安心した。

 で、次に、『個』は、なくなってしまうということは、私たちが、『個』ととらえて、個と個の向こう側の世界の間に境界線というか、しきりをもうけているけれども、実相においては、そんなしきりなどなく、無限の宇宙まで、ブッ続きに続いている、という感覚が台風12号の話から一応納得できれば、それでわかるかと思います。

  《注》 『個』というものを我々が認識する以上、このように個を完全に消し去ってしまうことは、最終的にはできず、いったん消し去った『個』を新たな次元において復活させる、ということになってきます。そこが、先ほどの表現で言えば、『 ・・・・・であるが故に、(今ここにこのような)台風12号(として現成しているの)である』にあたるところなのですが、そこは先の問題として、ここでは、まず『個』というものが消えてしまう、ということが、一応わかる、ということが大切です。 

  最後に、『地球が太陽の周りをまわっているから、このお茶はおいしい。』ということ。

地球が太陽の周りを回っていなかったら、今ここに私という人間もお茶も、存在しないことになります。今ここの、このような状態それ自体が全体として存在しなくなれば、『このお茶はおいしい』ということもなくなってしまいます。だから、『地球が太陽の周りをまわっているから、このお茶はおいしい。』ということになります。

《もうひとりの私》 なにか飛躍してると思っていたんだが、やっぱりそうだったか。でも、今はそんなに飛躍している、って感じではなくなってきたな。

  ところで、台風12号という例は、始めに台風と台風ではないところを敢えて頭の中に描いて設定していただいたように、それ自体個物の境界線というものが、大変に曖昧であり、逆にそれだけ外の世界とのつながり方を意識しやすいものだったわけです。

  しかし、茶飲み茶碗とか、この私という人間ということになると、我々にはもっと『輪郭のくっきりしたもの』に見える、すなわち、個物性が強調されて見えるため、『一即一切、一切即一』という関係性が掴みにくくなります。しかし、台風12号という例から、全くそれと同じである、ということを最後に確認して戴き、次の項に進むことに致します。

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