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[M12] 観の座の構築日記

  [M8]の Wilbro さんのガイドに書かれているような「観想の方法」、すなわち、「観の座」を常住坐臥、四六時中しっかり維持していくということは、いざやっていこうとすると至難の業に思えるほど難しいです。
 ネット上でもう少し具体的な手がかりはないかと、いろいろ探してみましたが、どうもそういったものは見あたりません。「天台小止観」は近々読むつもりですが、動中の細かいやり方までは書いてないということは、すでにわかりました。

 ということは、要領は結局自分で工夫していく他はない、ということなのでしょう。
一応、そういう結論がでましたので、相当の悪戦苦闘が予想されますが、意を決して、下記にメモ風になるか、日記風になるかはわかりませんが、思うことを書き付けて、それを自分で参照しながら進むことにしました。

別ファイルにしておく方が柔軟性があると思いますので、下記のリンクに書くことにします。

[M12-1] 観の座の構築メモ
http://hokkai53.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/m121_83e4.html


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                          投稿されたコメント
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[MC12-1-1]  投稿: 求道者 | 2011年5月 8日

観の座というのは、第三の目と象徴される座のことである。瞑想的には、頭の中心のやや後方のあたりへの集中で把握しやすくなる。

何度もやっていると、そのあたりがムズムズしてくる。そのうちにそれが消えてしまったりすることもあって、とにかく根気がいる。

簡単ではないが、要領としては、まず額の中央の両目の間に集中し、それを後方へもっていって、そこに集中すると、やりやすい。
仏像は、元々、そういった、瞑想の要点を表わしていた。唇の形は呼吸の要領を表わす。鼻から息を吸って、ゆっくり口から出す場合に、唇をすぼめていると、ゆっくりと出すことができる。目はやや半眼。

なるほどである。

[MC12-1-2]   投稿: 求道者 | 2011年5月 9日

しかし観の座が開く事と、解脱とはまた次元が異なる。観の座は普通の人でも時として開く事があり、光のようであったり、何かが突然分かったりする。

様々な程度があり、少し開いているだけでも天才的な直観能力に恵まれる。誰でも努力次第で、多少なりとも開いてきて、人が変わってくる。心が澄んでくるとちょっと開いたりするが、またすぐに閉じてくる。慣れてくるとその状態やコツが分かってくるので、誰でもでき、私のような愚才でも分かる。大したことではないが、やはり大したことでもある。心の澄み方が大きく関わるが、それだけではないコツを習得する必要がある。

もったいぶった、たいそうな言葉で表現することもないことであるが、禅に入れ込みすぎた方々は、常にそういう「月を捉えようとする愚人」のような感覚で表現したがる傾向がある。もっと身近に引き寄せてこそ、実現できるのである。

フルオープンすれば、解脱への速度は恐ろしく加速される、真実、真理、実相が見えてくるからであるが、解脱に至までは更に厳しい、が常に道の歩みがあるので苦しくはない。

だから求道者は観の座をまず開く事を求めるが、開き始めなければ、高度なことが直覚で習得できないからである。考えるのではなく、高度な事は直覚でしか感じ取れないからである、絶対に!

それまでは、いつまでも「名月や、池を巡りて夜もすがら」であり、月面着陸できない。

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        以下は、投稿文のみで、記載が重複します。
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コメント

観の座というのは、第三の目と象徴される座のことである。瞑想的には、頭の中心のやや後方のあたりへの集中で把握しやすくなる。

何度もやっていると、そのあたりがムズムズしてくる。そのうちにそれが消えてしまったりすることもあって、ときかく根気がいる。

簡単ではないが、要領としては、まず額の中央の両目の間に集中し、それを後方へもっていって、そこに集中すると、やりやすい。仏像は、元々、そういった、瞑想の要点を表わしていた。唇の形は呼吸の要領を表わす。鼻から息を吸って、ゆっくり口から出す場合に、唇をすぼめていると、ゆっくりと出すことができる。目はやや半眼。

なるほどである。

投稿: 求道者 | 2011年5月 8日 (日) 21時32分

しかし観の座が開く事と、解脱とはまた次元が異なる。観の座は普通の人でも時として開く事があり、光のようであったり、何かが突然分かったりする。

様々な程度があり、少し開いているだけでも天才的な直観能力に恵まれる。誰でも努力次第で、多少なりとも開いてきて、人が変わってくる。心が澄んでくるとちょっと開いたりするが、またすぐに閉じてくる。慣れてくるとその状態やコツが分かってくるので、誰でもでき、私のような愚才でも分かる。大したことではないが、やはり大したことでもある。心の澄み方が大きく関わるが、それだけではないコツを習得する必要がある。

もったいぶった、たいそうな言葉で表現することもないことであるが、禅に入れ込みすぎた方々は、常にそういう「月を捉えようとする愚人」のような感覚で表現したがる傾向がある。もっと身近に引き寄せてこそ、実現できるのである。


フルオープンすれば、解脱への速度は恐ろしく加速される、真実、真理、実相が見えてくるからであるが、解脱に至までは更に厳しい、が常に道の歩みがあるので苦しくはない。

だから求道者は観の座をまず開く事を求めるが、開き始めなければ、高度なことが直覚で習得できないからである。考えるのではなく、高度な事は直覚でしか感じ取れるないからである、絶対に!

それまでは、いつまでも「名月や、池を巡りて夜もすがら」であり、月面着陸できない。

投稿: 求道者 | 2011年5月 9日 (月) 11時11分

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