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[K6]洞山の五位・不完全読下し文

洞山の五位が、ネット上にありませんので、見たい人がいつでも見られるように、
不完全ながら、私が漢文を読み下したものを、ここに載せておきます。
(改良点に気付かれた方は、コメントをお寄せ下さい。)

  なお、
[K7]不完全現代語訳(「窓の外は空」カテゴリー内)があります。
二つのウインドウを開かれ、切り替えながら読まれるとわかりやすいと思います。

 洞山良价和尚五位の頌

 白隠禅師下で作られ、その弟子がまとめたもののようであり、現在臨済宗室内で使用されている。以下はそのうちの、『洞山良价和尚五位の頌』の部分のみ。 


① 正中偏

 
正中偏(正の中に偏がある)

   三更初夜([真夜中])、月明の前([真っ暗闇])、
   怪しむことなし、相逢うて相識らざることを。  
   隠々として、猶ほ旧日の妍を懐く。


 正中偏の一位は、大死一番・カ地一下・見道入理の正位を指す。真正の行者は密参功積潜修力充ち、忽然として打発すれば、則ち虚空消殞し、鉄山摧(くだ)く。上、片瓦の頭を蓋うことなく、下、寸土の足を立てることなし。煩悩なく、菩提なく。生死なく、涅槃なし。一片虚凝声なく、臭なく、澄潭の底なきがごとく、大虚の跡を絶するに似たり。

 往々([しかしながら])、この一位を認得すれば、もって大事了畢となし、もって仏道を成弁せり、といえども、死守して放つことなければ、それ、これをそれ、死水裡の禅といい、棺木裡の屍を守る鬼となす。任使耽著して、三、四十年を経るとも独覚自了小果の窟を出るあたはず。

 ゆえにいう、機、位を離れずんば、毒海に堕在すると。これ、すなわち、仏の、いわゆる正位に証を取る底の大痴人なり。たとい、平等真智をあきらむることあるといえども、万法無礙の妙智を換発することあたはず。
 
 この故に、寂静無為空間の隠処にあっては内外玲瓏にして、了了分明なりといえども、観照わずかに動揺騒閙憎愛差別の塵縁に渉(わた)れば、すなわち、半点の力なく、衆苦逼迫す。この重病を救はんがために、仮りにまた、偏中正の一位を立つ。


② 偏中正

 失暁の老婆、古鏡に逢う
 分明覿面、更に真なし
 更に、頭に迷ひて、かえって影を認むることをいかんせん。


《注》 失暁=寝過ごすこと  覿(テキ)=見る  分明=はっきりと

 
行者、もし正中偏の一位に住著すれば、すなわち、智、常に向背し、見処偏枯なり。
この故に、上根の菩薩、常に動中種種差別の塵境上に坐臥す。ことごとく、目前の老幼尊卑堂閣廊廡(ブ=ひさし)、草木山川の万法を把(と)って、もって自己の本来真正清浄の面目を見るがごとし。一切処において、かくのごとく観照し、歳月をかさぬれば、すなわち、自然に彼れ皆、我が家の一枚の宝鏡となり、我もまた、彼が家の一枚の宝鏡となる。
 永平(=道元)いわく、自己を運びて万法を証するは迷なり、万法来たりて、自己を証するは、悟りなり、と。これ、この謂なり。ここにおいて、心身脱落、脱落心身、両鏡相照らして、中心一点の影像なきがごとく、銀椀裏に雪を盛る。これを宝鏡三昧という。
 涅槃経に、いわゆる如来は目に仏性を見るとは、これなり。この三昧に入得するとき、大白牛児、推(お)して(せども?)去らず。平等性智、目前に現出す。いわゆる、ただ一乗あり。中道実相、第一義諦、これなり。

(しかしながら)学者、もしまた、この田地に到りて、もって足れりとなさば、すなわち、依然として菩薩頂堕の深坑にあり。何が故ぞ。菩薩の威儀を知らざる。仏国土の因縁を了せざればなり。祖師、この患難を救わんがために、更に、正中来の一位を設く。

③ 正中来

 無中に路あり、塵埃を出づ
 ただよく当今の諱(いみな=死者の生前の名)に触れずんば
 また、前朝の断舌の才に勝れり

 この一位、上乗の菩薩、所証の果地に住せず。
無巧用海中、無縁の大悲を換発し、四弘清浄の大誓に上求菩提・下化衆生の法輪に鞭(むちう)つ。いわゆる、向去中の却来、却来中の向去なり。
(しかしながら、さらに)すべからく、明暗雙雙(双双)底の時節あることを知るべし。
このゆえに、また、兼中至の一位を設く。


④ 兼中至

 両刃鋒を交えて避くることをもちいず、
 好手還って火のなかの蓮に同じ、
 宛然として自ずから衝天の気あり


この一位は、有力量の菩薩、明暗不二の法輪を撥転し、紅塵堆裡に灰頭土面、声色隊中、七狂八倒して火裡の蓮花の火に逢うて、色香転じて、鮮明となるがごとし。入てん垂手(にってんすいしゅ)の他受用、いわゆる途中にあって家舎を離れず、家舎を離れて途中にあらず、これ凡にしてこれ聖なり。魔外といえども、これを弁ずるあたはず。仏祖といえども、手を挟(はさ)みえず。心を挙(あ)げて向かはんと擬すれば、兎角亀毛。
別山を過ぐる者は、裡になお、これを穏坐地となすを許るさず。この故にいう、宛然として、衝天の気あり、と。
畢竟、いかん。すべからく、さらに、兼中到の一位を知るべし。

⑤ 兼中到


 有無に落ちず、誰か敢て和せん。
 人人尽く常流を出でんと欲す
 折合して還って炭裏に帰して坐す。

 師(白隠禅師)、著語して曰く、

   徳雲の閑古錐、いくたびか、妙峰頂を下る。
   かの痴聖人を雇いて、雪を担って、共に井を埋む。

学者、もし洞山兼中到の一位を透得せんと欲せば、まずすべからく、この頌に参ずべし。

 

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